2013年10月31日木曜日
2013年10月30日水曜日
サン・トワ・マミー 天海祐希 UPC-0389
http://www.youtube.com/v/TR4WPfw8kHo?autohide=1&version=3&showinfo=1&feature=share&autohide=1&attribution_tag=COHeoegDNpsEi8lSqyTS4Q&autoplay=1
2013年10月29日火曜日
オーストラリアの海岸
La costa cantábrica peninsular destaca por sus acantilados. Playa de Peñarrubia, Gijón (Asturias).
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gijon-playa-penarrubia.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gijon-playa-penarrubia.jpg
Armand Guillaumin アルマン・ギヨマン, 1905年の作品「Echo Rock」
アルマン・ギヨマン, 1905年の作品「Echo Rock」
アルマン・ギヨマン(1841年 - 1927年)は、1861年、20歳の時、スイス・アカデミーで勉強をはじめ、そこでポール・セザンヌや、カミーユ・ピサロと出逢ったといいます。
後に画廊に勤めていたゴッホの弟テオがギヨマンの絵を数点購入したということで、強烈な色彩が気に入られていたのでしょうか。
ほとんど風景画を主体に描いたギヨマンは、けっこう長生きしました。
作品集
アルマン・ギヨマン(1841年 - 1927年)は、1861年、20歳の時、スイス・アカデミーで勉強をはじめ、そこでポール・セザンヌや、カミーユ・ピサロと出逢ったといいます。
後に画廊に勤めていたゴッホの弟テオがギヨマンの絵を数点購入したということで、強烈な色彩が気に入られていたのでしょうか。
ほとんど風景画を主体に描いたギヨマンは、けっこう長生きしました。
作品集
2013年10月28日月曜日
Sophie Gengembre Anderson The complete works
Sophie Gengembre Anderson The complete works
http://www.1st-art-gallery.com/Sophie-Gengembre-Anderson/Complete-list-of-oil-paintings.html
http://www.1st-art-gallery.com/Sophie-Gengembre-Anderson/Complete-list-of-oil-paintings.html
TSUKASA'S LABORATORY
TSUKASA'S LABORATORY
■西洋の画家 年代別一覧(1240年ー1992年)■
■No■画家名 ■生年期間 ■没年 ■国 ■様式・流派
001 チマブーエ 1240ー1302 62才 イタリア ゴシック
002 ドゥッチオ・ディ・ブオニンセーニャ1255ー1319 64才 イタリア ゴシック・シエナ派
003 ジオット・ディ・ボンドーネ 1266ー1337 71才 イタリア ゴシック
004 ピエトロ・ロレンツェッティ兄 1280ー1348 68才急逝ペストイタリア ゴシック・シエナ派
004 アンブロジオ・ロレンツェッティ弟1290ー1348 58才急逝ペストイタリア ゴシック・シエナ派
005 シモーネ・マルティーニ 1284ー1344 60才 イタリア ゴシック・シエナ派
006 タッディオ・ガッディ 1300ー1366 66才 イタリア ゴシック
007 ヴィターレ・ダ・ボローニャ 1334ー1359 25年活動期 イタリア ゴシック・ボローニャ派
008 アンドレア・オルカーニャ 1343ー1368 25年活動期 イタリア ゴシック
009 ジョヴァンニ・ダ・ミラノ 1346ー1369 23年活動期 イタリア ゴシック
010 トマソ・ダ・モデナ 1325ー1379 54才 イタリア ゴシック
011 ブルーデルラム 1381ー1409 28年活動期フランドル 国際ゴシック
012 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ1360ー1427 67才イタリア 国際ゴシック
013 アンドレイ・ルブリョーフ 1360ー1430 70才 ロシア ロシア・イコン
014 ロレンツォ・モナコ 1370ー1422 52才 イタリア 国際ゴシック
015 ポール・ランブール兄弟1 ?ー1416 フランス 国際ゴシック
015 エルマン・ランブール兄弟2 ?ー1416 フランス 国際ゴシック
015 ジャヌカン・ランブール兄弟3 ?ー1416 フランス 国際ゴシック
016 ロベルト・カンピン 1380ー1444 64才 フランドル 初期フランドル派
017 マソリーノ・ダ・パニカーレ 1383ー1447 64才 イタリア 国際ゴシック
018 フラ・アンジェリコ 1387ー1455 68才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
019 ヒューベルト・エイク兄弟1 ?ー1426 フランドル 初期フランドル派
019 ヤン・エイク兄弟2 1390ー1441 51才 フランドル 初期フランドル派
020 サセッタ 1392ー1450 58才 イタリア ルネサンス・シエナ派
021 ピサネロ 1395ー1455 60才 イタリア 国際ゴシック
022 パオロ・ウッチェロ 1397ー1475 78才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
023 ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン1399ー1464 65才フランドル 初期フランドル派
024 シュテファン・ロッホナー 1400ー1451 51才 ドイツ 国際ゴシック ケルン派
025 ヤコポ・ベリーニ 1400ー1471 71才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
026 コンラート・ヴィッツ 1400ー1445 45才 ドイツ ゴシック
027 マサッチオ 1401ー1428 27才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
028 ジョヴァンニ・ディ・パオロ 1403ー1483 80才 イタリア 国際ゴシック・シエナ派
029 フラ・フィリッポ・リッピ 1406ー1469 63才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
030 ドメニコ・ヴェネツィアーノ 1410ー1461 51才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
031 ペトルス・クリストゥス 1410ー1473 63才 フランドル 初期フランドル派
032 ピエロ・デラ・フランチェスカ 1415ー1492 77才 イタリア ルネサンス・ウンブリア派
033 ディクル・ボウツ 1415ー1475 60才 フランドル 初期フランドル派
034 アンゲラン・カルトン 1415ー1466 51才 フランス 国際ゴシック・アヴィニヨン派
035 ジャン・フーケ 1420ー1481 61才 フランス 国際ゴシック
036 アントニオ・ヴィヴァリーニ父 1420ー1484 64才 イタリア 初期ヴェネチア派
036 アルヴィーセ・ヴィヴァリーニ子 1447ー1504 57才 イタリア 初期ヴェネチア派
037 ベノッツオ・ゴッツォリ 1421ー1497 76才 イタリア ルネッサンス・フェレンツェ派
038 アンドレア・デル・カスターニョ 1423ー1457 34才 イタリア ルネッサンス・フェレンツェ派
039 アレッソ・ヴァルドヴィネッティ 1425ー1499 74才 イタリア ルネッサンス・フェレンツェ派
040 ジェンティーレ・ベリーニ 1429ー1507 78才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
041 ジョヴァンニ・ベリーニ 1430ー1516 86才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
042 アントネロ・ダ・メッシーナ 1430ー1479 49才 イタリア ヴェネツィア派
043 コジモ・トゥーラ 1430ー1495 65才 イタリア ルネサンス・フェラーラ派
044 ヴィンチェンツォ・フォッパ 1430ー1515 85才 イタリア ルネサンス
045 カルロ・クルヴェリ 1430ー1500 70才 イタリア ルネサンス
046 ハンス・メムリンク 1430ー1494 64才 フランドル 初期フランドル絵画・ブリュッゲ派
047 アンドレア・マンテーニャ 1431ー1506 75才 イタリア ルネサンス・パドヴァ派
048 アントニオ・ポライウォーロ兄弟1 1432ー1498 66才 イタリア ルネッサンス・フェレンツェ派
048 ピエロ・ポライウォーロ兄弟2 1441ー1496 55才 イタリア ルネッサンス・フェレンツェ派
049 アンドレア・デル・ヴェロッキオ 1435ー1488 53才 イタリア ルネッサンス・フェレンツェ派
050 ミヒャエル・パッハー 1435ー1498 63才 ドイツ ゴシック
051 フランチェスコ・デラ・コッサ 1436ー1478 42才 イタリア ルネサンス・フェラーラ派
052 メロッツオ・ダ・フォルリ 1438ー1494 56才 イタリア ルネサンス
053 ヒューホ・ヴァン・デル・グース 1440ー1482 42才精神病・没 フランドル 初期フランドル派
054 サンドロ・ボッティチェルリ 1444ー1510 66才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
055 ルカ・シニョレリ 1445ー1523 78才 イタリア ルネサンス
056 ドメニコ・ギルランダイオ 1449ー1494 45才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
057 マルティン・ショーンガウアー 1450ー1491 41才 ドイツ ゴシック
058 ペルジーノ 1450ー1523 73才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
059 ヒエロニムス・ボス 1450ー1516 66才 ネーデルランド ゴシック
060 エルコレ・デ・ロベルティー 1450ー1496 46才 イタリア ルネサンス・フェラーラ派
061 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452ー1519 67才 イタリア ルネサンス
062 ムランの画家 1480ー1501 21年活動期 フランス 国際ゴシック
063 ヴィットーレ・カルパッチオ 1455ー1526 71才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
064 フィリッピーノ・リッピ 1457ー1504 47才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
065 ロレンツォ・デイ・クレディ 1459ー1537 78才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
066 ロレンツォ・コスタ 1460ー1535 75才 イタリア ルネサンス・フェラーラ派
067 ヘラルト・ダヴィット 1460ー1523 63才 ネーデルランド フランドル派・ブリュッゲ派
068 ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス1460ー1495 35才 フランドル 初期フランドル派
069 ピエロ・ディ・コジモ 1462ー1521 59才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
070 ブラマンティーノ 1465ー1530 65才 イタリア ルネサンス
071 クエンティン・マセイス 1465ー1530 65才 フランドル 北方ルネサンス
072 マティアス・グリューネヴァルト 1470ー1528 58才 ドイツ ドイツ・ルネサンス
073 アルブレヒト・デューラー 1471ー1528 57才 ドイツ ドイツ・ルネサンス
074 ルーカス(父)・クラナハ 1472ー1553 81才 ドイツ ドイツ・ルネサンス
075 フラ・バルトロメオ 1472ー1517 45才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
076 ミケランジェロ・ブオナローティ 1475ー1564 89才 イタリア ルネサンス・フェレンツェ派
077 マルカントニオ・ライモンディ 1475ー1534 59才 イタリア ルネサンス
078 ジョルジョーネ 1476ー1510 34才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
079 ソドマ 1477ー1549 72才 イタリア ルネサンス・シエナ派
080 マビュース 1478ー1536 58才 フランドル 北方ルネサンス
081 ドッソ・ドッシ 1479ー1542 63才 イタリア ルネサンス・フェラーラ派
082 アルブレヒト・アルトドルファー 1480ー1538 58才 ドイツ ドナウ派
083 ヨアヒム・パティニール 1480ー1524 44才 フランドル フランドル絵画
084 パルマ・イル・ヴェッキオ 1480ー1528 48才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
085 ロレンツォ・ロット 1480ー1556 76才晩年修道僧 イタリア ルネサンス
086 ベルナルディーノ・ルイーニ 1481ー1532 51才 イタリア ミラノ派
087 ラファエロ・サンツィオ 1483ー1520 37才 イタリア ルネサンス
088 ハンス・バルドゥング・グリーン 1484ー1545 61才 ドイツ ドイツ・ルネサンス
089 セバスティアーノ・デル・ピオンボ1485ー1547 62才 ルネサンス ヴェネツィア派
090 ベッカフーミ 1485ー1551 66才 イタリア マニエリスム・シエナ派
091 アンドレア・デル・サルト 1486ー1531 45才 イタリア フェレンツェ派
092 ティツィアーノ・ヴェチェリオ 1488ー1576 88才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
093 コレッジオ 1489ー1534 45才 イタリア ルネサンス
094 ジャン(父)・クーザン 1490ー1560 70才 フランス マニエリスム・フォンテーヌブロー派
095 ルーカス・ファン・レイデン 1494ー1533 39才 フランドル 北方ルネサンス・マニエリスム
096 ポントルモ 1494ー1557 63才 イタリア マニエリスム
097 ロッソ・フィオレンティーノ 1494ー1540 46才自殺 イタリア マニエリスム
098 ハンス(子)ホルバイン 1497ー1543 46才 ドイツ ドイツ・ルネサンス
099 ジュリオ・ロマーノ 1499ー1546 47才 イタリア マニエリスム
100 パリス・ボルドーネ 1500ー1571 71才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
101 パルミジャニーノ 1503ー1540 37才 イタリア マニエリスム
102 アーニョロ・ブロンツィーノ 1503ー1572 69才 イタリア マニエリスム
103 フランチェスコ・プリマティッチオ1505ー1570 65才 イタリア マニエリスム・フォンテーヌブロー派
104 ニッコロ・デル・アバーテ 1509ー1571 62才 イタリア マニエリスム・フォンテーヌブロー派
105 サルヴィアーティ 1510ー1563 53才 イタリア マニエリスム
106 ジョルジョ・ヴァザーリ 1511ー1574 63才 イタリア マニエリスム
107 ヤコポ・バッサーノ 1517ー1592 75才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
108 ティントレット 1518ー1594 76才工房経営 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
109 ピーテル(父)ブリューゲル 1525ー1569 44才 フランドル 北方ルネサンス
110 ジュゼッペ・アンチンボルド 1527ー1593 66才二重イメージ イタリア マニエリスム
111 パオロ・ヴェロネーゼ 1528ー1588 60才 イタリア ルネサンス・ヴェネツィア派
112 フェディリゴ・バロッチ 1528ー1612 84才 イタリア マニエリスム・バロック
113 エル・グレコ 1541ー1614 73才 ギリシア・スペイン マニエリスム・バロック
114 バルトロメウス・スプランヘル 1546ー1611 65才 フランドル 北方マニエリスム
115 ニコラス・ヒリヤード 1547ー1619 72才 イギリス ルネサンス
116 アニーバレ・カラッチ 1560ー1609 49才 イタリア ボローニャ派
117 オラッツィオ・ジェンティレスキ父1563ー1638 75才 イタリア バロック
117 アルテミシア・ジェンティレスキ娘1597ー1623 26才1623以後 イタリア バロック
118 ヤン(父)ブリューゲル 1568ー1625 57才 フランドル 北方ルネサンス
119 ミケランジェロ・カラヴァッジオ 1573ー1610 37才 イタリア バロック
120 グイード・レーニ 1575ー1642 67才 イタリア バロック・ボローニャ派
121 ピーテル・パウル・リュベンス 1577ー1640 63才 フランドル バロック
122 ドメニキーノ 1581ー1641 60才 イタリア バロック・ボローニャ派
123 フランス・ハルス 1581ー1666 85才 オランダ 17世紀オランダ絵画
124 モンス・デジデリオ 1588ー1644 56才1644以後 フランス マニエリスム
125 アントワーヌ ル・ナン兄弟1 1588ー1648 60才 フランス バロック・古典主義
125 ルイ ル・ナン兄弟2 1593ー1648 55才 フランス バロック・古典主義
125 マチュウ ル・ナン兄弟3 1607ー1677 70才 フランス バロック・古典主義
126 グェルチーノ 1591ー1666 75才 フランス バロック
127 ホセ・デ・リベーラ 1591ー1652 61才 スペイン バロック・ナポリ派
128 ジャック・カロ 1592ー1635 43才 フランス マニエリスム・バロック
129 ヤコブ・ヨルダーンス 1593ー1678 85才 フランドル バロック
130 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 1593ー1652 59才 フランス バロック・古典主義
131 ニコラ・プーサン 1594ー1665 71才 フランス バロック・古典主義
132 ピエトロ・ダ・コルトーナ 1596ー1669 73才 イタリア バロック
133 ヤン・ファン・ホイエン 1596ー1656 60才 オランダ 17世紀オランダ絵画
134 フランシスコ・デ・スルバラン 1598ー1664 66才 スペイン バロック
135 アンソニー・ヴァン・ダイク 1599ー1641 42才 フランドル・イギリス バロック
136 ディエゴ・ベラスケス 1599ー1660 61才宮廷画家 スペイン バロック
137 クロード・ロラン 1600ー1682 82才 フランス バロック・古典主義
138 レンブラント・ファン・レイン 1606ー1669 63才晩年貧困 オランダ 17世紀オランダ絵画
139 ダヴィッド・テニールス 1610ー1690 80才 フランドル 17世紀フランドル絵画
140 サルヴァトール・ローザ 1615ー1673 58才 イタリア バロック
141 ヘラルト・テル・ボルフ 1617ー1681 64才 オランダ 17世紀オランダ絵画
142 バルトロメー・エステバン・ムリーリョ1618ー1682 64才スペイン バロック
143 シャルル・ル・ブラン 1619ー1690 71才 フランス 古典主義
144 カレル・ファブリティウス 1620ー1654 34才夭折爆発事故死オランダ 17世紀オランダ絵画・バロック
145 ヤコブ・ファン・ロイスダール 1625ー1682 57才 オランダ 17世紀オランダ絵画
146 ヤン・ステーン 1626ー1679 53才 オランダ 17世紀オランダ派
147 ピーテル・デ・ホーホ 1629ー1677 48才 オランダ 17世紀オランダ絵画
148 ヤン・フェルメール 1632ー1675 43才 オランダ 17世紀オランダ絵画
149 マインデルト・ホッベマ 1638ー1709 71才 オランダ 17世紀オランダ絵画
150 セバスティアーノ・リッチ 1659ー1734 75才 イタリア 18世紀ヴェネツィア派・ロココ
151 ジュゼッペ・マリーア・クレスピ 1665ー1747 82才 イタリア バロック・ロココ
152 アレッサンドロ・マニャスコ 1667ー1749 82才 イタリア ロココ
153 ジョヴァンニ・バティスタ・ピアツェッタ1682ー1754 72才 イタリア 18世紀ヴェネツィア派・ロココ
154 アントワーヌ・ヴァトー 1684ー1721 37才胸病早世 フランス ロココ
155 ジャン・マルク・ナティエ 1685ー1766 81才 フランス ロココ
156 ニコラ・ランクレ 1690ー1743 53才 フランス ロココ
157 ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロ1696ー1770 74才イタリア 18世紀ヴェネツィア派・ロココ
158 カナレット 1697ー1768 71才 イタリア 18世紀ヴェネツィア派
159 ウィリアム・ホガース 1697ー1764 67才風刺画家 イギリス ロココ
160 ジャン・シャルダン 1699ー1779 80才 パステル フランス 写実主義 ロココ
161 シャルル・ジョゼフ・ナトワール 1700ー1777 77才 フランス ロココ
162 ジャン・エティエンヌ・リオタール1702ー1789 87才 パステル スイス ロココ
163 ピエトロ・ロンギ 1702ー1785 83才 イタリア ロココ・ヴェネツィア派
164 フランソワ・ブーシェ 1703ー1770 67才タピスリー下絵フランス・ロココ
165 モーリス・カンタン・ド ラ・トゥール1704ー1788 84才晩年精神病 フランス・ロココ
166 フランチェスコ・グァルディ 1712ー1793 81才 イタリア 18世紀ヴェネツィア派
167 ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ1720ー1778 58才建築空間 イタリア 古典主義・ロマン主義
168 ジョシュア・レノルズ 1723ー1792 69才ロイヤルアカデミー初代会長 イギリス ロココ
169 ジャン・バティスト・グルーズ 1725ー1805 80才不遇な晩年 フランス ロココ
170 トマス・ゲーンズボロ 1727ー1788 61才 イギリス 18世紀イギリス絵画
171 ジャン・オノレ・フラゴナール 1732ー1806 74才不遇のうち没 フランス ロココ
172 ベンジャミン・ウェスト 1738ー1820 82才 アメリカ 新古典主義・ロマン派
173 ヨハン・ハインリヒ・フュースリ 1741ー1825 84才 スイス・イギリス ロマン派
174 フランシスコ・デ・ゴヤ 1746ー1828 82才 スペイン ロココ・ロマン派
175 ジャック・ルイ・ダヴィッド 1748ー1825 77才亡命先客死 フランス 新古典主義
176 ウィリアム・ブレーク 1757ー1827 70才 イギリス ロマン派
177 ピエール・ポール・プリュードン 1758ー1823 65才 フランス 新古典主義
178 アントワーヌ・ジャン・グロ 1771ー1835 64才晩年不遇自殺フランス 新古典主義・ロマン派
179 カスパル・ダヴィト・フリードリヒ1774ー1840 66才 ドイツ ロマン派
180 ウィリアム・ターナー 1775ー1851 76才水彩画 イギリス ロマン派
181 ジョン・カンスタブル 1776ー1837 61才 イギリス 自然主義
182 フィリップ・オットー・ルンゲ 1777ー1810 33才夭折ドイツ ロマン派
183 ドミニック・アングル 1780ー1867 87才 フランス 新古典主義
184 フランチェスコ・アイエツ 1791ー1882 91才 イタリア 新古典主義
185 テオドール・ジェリコー 1791ー1824 33才 フランス ロマン派
186 カミーユ・コロー 1796ー1875 79才 フランス 自然主義・バルビゾン派
187 ウジェーヌ・ドラクロワ 1798ー1863 65才 フランス ロマン派
188 リチャード・パークス・ボニントン1802ー1828 26才夭折25歳 イギリス 自然主義
189 グランヴィル 1803ー1847 44才晩年精神異常没フランスロマン派
190 サミュエル・パーマー 1805ー1881 76才水彩画 イギリス ロマン派
191 オノレ・ドーミエ 1808ー1879 71才投獄フランス 写実主義
192 テオドール・ルソー 1812ー1867 55才 フランス バルビゾン派・外光派
193 ジャン・フランソワ・ミレー 1814ー1875 61才 フランス 写実主義・バルビゾン派
194 シャルル・フランソワ・ドービニー1817ー1878 61才 フランス バルビゾン派・写実主義
195 アントニオ・フォンタネージ 1818ー1882 64才日本工部美術学校教師 イタリア 自然主義
196 リチャード・パークス・ダッド 1819ー1886 67才父殺害し43年間精神病院没イギリス ロマン主義・ヴィクトリア朝絵画
197 ギュスタヴ・クールベ 1819ー1877 58才 フランス 写実主義
198 テオドール・シャセリオー 1819ー1856 37才 フランス 新古典主義・ロマン派
199 ジャン・レオン・ジェローム 1824ー1904 80才 フランス 新古典主義
200 ピエール ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ1824ー1898 74才フランス 象徴主義
201 ウジェーヌ・ブーダン 1824ー1898 74才 フランス 外光派・印象派
202 アドルフ・モンティセリ 1824ー1886 62才 フランス ロマン派
203 ジョヴァンニ・ファットーリ 1825ー1908 83才 イタリア マッキア派
204 ウィリアム・ブーグロ 1825ー1905 80才 フランス 新古典主義
205 ギュスターヴ・モロー 1826ー1898 72才 フランス 象徴主義
206 シルヴェストロ・レーガ 1826ー1895 69才 イタリア マッキア派・印象派
207 ウィリアム・ホルマン・ハント 1827ー1910 83才 イギリス ラファエル前派
208 アルノルト・ベックリン 1827ー1901 74才 スイス 世紀末芸術・象徴主義
209 ダンテ・ガブリエル・ロセッティ 1828ー1882 54才 イギリス ラファエル前派
210 ジョン・エヴァレット・ミレイ 1829ー1896 67才 イギリス ラファエル前派
211 カミーユ・ピサロ 1830ー1903 73才 フランス 印象派
アルバート・ビアスタット(1830年 - 1902年)はドイツ出身のアメリカの画家
212 ギュスターヴ・ドレ 1832ー1883 51才 フランス ロマン派
213 エドゥアール・マネ 1832ー1883 51才 フランス 写実主義・印象派
214 エドワード・バーン・ジョーンズ 1833ー1898 65才 イギリス ラファエル前派
215 フェリシアン・ロップス 1833ー1898 65才 ベルギー 世紀末芸術216 エドガー・ドガ 1834ー1917 83才 フランス 印象派
217 ジェームズ・ホイッスラー 1834ー1903 69才 アメリカ 印象派・世紀末芸術
218 ジェームズ・ティソ 1836ー1902 66才 フランス ヴィクトリア朝絵画・新古典主義
219 アンリ・ファンタン・ラトゥール 1836ー1904 68才 フランス 写実主義・印象派
220 アルフレッド・シスレー 1839ー1899 60才 フランス 印象派
221 ポール・セザンヌ 1839ー1906 67才 フランス 後期印象派
222 クロード・モネ 1840ー1926 86才 フランス 印象派
223 オディロン・ルドン 1840ー1916 76才 フランス 象徴主義
224 フレデリック・バジール 1841ー1870 29才 フランス 印象派
225 ベルト・モリゾ 1841ー1895 54才 フランス 印象派
アルマン・ギヨマン(1841年2月16日 - 1927年6月26日)
226 オーギュスト・ルノワール 1841ー1919 78才陶器絵付け職人フランス 印象派
227 ジョヴァンニ・ボルディーニ 1842ー1931 89才 イタリア 写実主義
228 イリヤ・レーピン 1844ー1930 86才フィンランド亡命ロシア 写実主義
229 アンリ・ルソー 1844ー1910 66才 フランス 素朴派
230 メアリ・カサット 1845ー1926 81才 アメリカ 印象派
231 ギュスタヴ・カイユボット 1848ー1894 46才 フランス 印象派
232 ポール・ゴーガン 1848ー1903 55才35歳から画家 フランス 後期印象派
セオドアロビンソン(1852-1896年)
233 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 1853ー1890 37才南仏自殺 オランダ 後期印象派
234 フェルデナント・ホドラー 1853ー1918 65才 スイス 象徴主義・世紀末芸術
235 ジョン・シンガー・サージェント 1856ー1925 69才 アメリカ 印象派・写実主義
236 マックス・クリンガー 1857ー1920 63才 ドイツ 世紀末芸術・象徴主義
237 フェルナン・クノップフ 1858ー1921 63才 ベルギー 世紀末芸術・象徴主義
238 ジョヴァンニ・セガンティーニ 1858ー1899 41才独学スイス 象徴主義
239 ヤン・トーロップ 1858ー1928 70才 オランダ 象徴主義
240 ジョルジュ・スーラ 1859ー1891 32才 フランス 新印象派
241 ジェームス・アンソール 1860ー1949 89才 ベルギー 象徴主義
242 グスタフ・クリムト 1862ー1918 56才 オーストリア世紀末芸術・ユーゲントシュティル
243 フランツ・フォン・シュトゥック 1863ー1928 65才 ドイツ 象徴主義・世紀末芸術
244 エドヴァルド・ムンク 1863ー1944 81才 ノルウェイ 表現主義・世紀末芸術
245 アンリ・ド・トゥルーズ・ロートレック1864ー1901 37才アルコール中毒フランス 世紀末芸術・印象派
246 ワシリー・カンディンスキー 1866ー1944 78才パリ亡命 ロシア 表現主義・抽象絵画
247 エミール・ノルデ 1867ー1956 89才ナチス迫害 ドイツ 表現主義
248 ピエール・ボナール 1867ー1947 80才 フランス ナビ派・印象派
エミール・ベルナール(1868年4月28日 - 1941年4月16日)
249 モーリス・ドニ 1870ー1943 73才 フランス ナビ派・象徴主義
250 ジョルジュ・ルオー 1871ー1958 87才 フランス フォーヴィズム・表現主義
251 オーブリー・ビアズリー 1872ー1898 26才胸病夭折 イギリス 世紀末芸術
252 ピエト・モンドリアン 1872ー1944 72才 オランダ デ・スティル 新造形主義・キュビズム
253 カシミル・マレーヴィチ 1878ー1935 57才 ロシア シュプレマティズム・キュビズム
254 パウル・クレー 1879ー1940 61才バウハウス教鞭スイス 表現主義・シュルレアルスム
255 フランツ・マルク 1880ー1916 36才戦死第一次世界大戦ドイツ 表現主義
256 エルンスト・ルードヴィヒ・キルヒナー1880ー1938 58才スイス自殺ドイツ 表現主義
257 カルロ・カルラ 1881ー1966 85才 イタリア 形而上絵画・ノヴェチェント
258 フェルナン・レジェ 1881ー1955 74才アメリカ亡命 フランス キュビズム
259 パブロ・ピカソ 1881ー1973 92才 スペイン キュビズム・シュルレアルスム
260 ジョルジュ・ブラック 1882ー1963 81才 フランス キュビズム
261 ウンベルト・ボッチョーニ 1882ー1916 34才早世イタリア 未来派
262 モーリス・ユトリロ 1883ー1955 72才 フランス エコール・ド・パリ
263 アメデオ・モディリアーニ 1884ー1920 36才早世 イタリア エコール・ド・パリ
264 ジュール・パスキン 1885ー1930 45才パリ自殺 ブルガリア エコール・ド・パリ
265 オスカー・ココシュカ 1886ー1980 94才工芸学校 オーストリア 表現主義
266 アウグスト・マッケ 1887ー1914 27才戦死第一次世界大戦ドイツ 表現主義
267 マルク・シャガール 1887ー1985 98才フランス帰化 ロシア・フランス シュルレアリスム
268 マルセル・ヂュシャン 1887ー1968 81才 フランス ダダ
269 ジョルジオ・デ・キリコ 1888ー1978 90才 イタリア 形而上絵画
270 エゴン・シーレ 1890ー1918 28才夭折 オーストリア 世紀末芸術
271 ジョルジオ・モランディ 1890ー1964 74才 イタリア 形而上絵画
272 マックス・エルンスト 1891ー1976 85才フランス帰化 ドイツ・フランス シュルレアリスム
273 オットー・ディクス 1891ー1969 78才ナチス迫害 ドイツ 新即物主義
274 ジョアン・ミロ 1893ー1983 90才 スペイン シュルレアリスム
275 ルネ・マグリット 1898ー1967 69才 ベルギー シュルレアリスム
276 ジャン・デュビュッフェ 1901ー1986 85才 フランス アンフォルメル
277 マーク・ロスコ 1903ー1970 67才ニューヨーク自殺ロシア・アメリカ 抽象表現主義
278 フランシス・ベーコン 1909ー1992 83才絵画独学 イギリス
279 ジャクスン・ポロック 1912ー1956 44才 アメリカ シュルレアリスム 抽象表現主義
280 ロイ・リキテンスタイン 1923 - アメリカ ポップ・アート
281 アンディ・ウォーホル 1928ー1987 59才 アメリカ ポップ・アート
2013年10月27日日曜日
アルマン・ギヨマン<Jean-Baptiste Armand Guillaumin>(1841年 - 1927年)
アルマン・ギヨマン<Jean-Baptiste Armand Guillaumin>(1841年 - 1927年)は、フランス印象派の画家、リトグラフ版画家で、パリの生まれ。
1861年、スイス・アカデミーで勉強をはじめ、そこで終生の友となるポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロと出逢った。
1863年、ギヨマンは落選展に出品し、後に友人となるフィンセント・ファン・ゴッホの弟テオがギヨマンの絵を数点購入した。
世界中の美術館で彼の絵が展示されているという。
ギヨマンの作品(例)
1861年、スイス・アカデミーで勉強をはじめ、そこで終生の友となるポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロと出逢った。
1863年、ギヨマンは落選展に出品し、後に友人となるフィンセント・ファン・ゴッホの弟テオがギヨマンの絵を数点購入した。
世界中の美術館で彼の絵が展示されているという。
ギヨマンの作品(例)
2013年10月26日土曜日
2013年10月25日金曜日
マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County
雨が降ってきたローズマン・ブリッジ
1989年冬。アイオワ州マディソン郡。母、フランチェスカ・ジョンソンの葬儀を出すために集まった長男のマイケルと妹のキャロリンは、最期まで良妻賢母だった母の遺書に「私が死んだら火葬にして、その灰をローズマン橋から撒いて欲しい・・・」とあるのに困惑する。
2人は彼らに当てた母の手紙と日記を読み始める・・・。1965年秋。フランチェスカは結婚15年目で単調な生活を送っていた。夫のリチャードと2人の子供がイリノイ州の農産物品評会に出掛け、彼女は4日間、一人で家にいることになった。新鮮で開放的な気分になった彼女の前に、ローズマン橋を撮りに来たプロ・カメラマンのロバート・キンケイドが現れ、道を尋ねた。
平凡な主婦と中年のカメラマンのたった4日間の恋が始まる・・・・・・・・
好きにならずにいられない Can't Help Falling In Love
原曲♪Elvis Presley
マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County
Roseman Covered Bridge
1989年冬。アイオワ州マディソン郡。母、フランチェスカ・ジョンソンの葬儀を出すために集まった長男のマイケルと妹のキャロリンは、最期まで良妻賢母だった母の遺書に「私が死んだら火葬にして、その灰をローズマン橋から撒いて欲しい・・・」とあるのに困惑する。
2人は彼らに当てた母の手紙と日記を読み始める・・・。1965年秋。フランチェスカは結婚15年目で単調な生活を送っていた。夫のリチャードと2人の子供がイリノイ州の農産物品評会に出掛け、彼女は4日間、一人で家にいることになった。新鮮で開放的な気分になった彼女の前に、ローズマン橋を撮りに来たプロ・カメラマンのロバート・キンケイドが現れ、道を尋ねた。
平凡な主婦と中年のカメラマンのたった4日間の恋が始まる・・・・・・・・
好きにならずにいられない Can't Help Falling In Love
原曲♪Elvis Presley
マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County
Roseman Covered Bridge
2013年10月24日木曜日
「スタンド・バイ・ミー」での演技が光った、リバー・フェニックスの似顔絵を鉛筆画で描いてみました。 River Jude Phoenix
デッサンの練習の一環として、映画「スタンド・バイ・ミー」での演技が光った、リバー・フェニックスを描いてみました。
River Jude Phoenix (August 23, 1970 – October 31, 1993) was an American film actor, musician, and activist. He was the older brother of Rain Phoenix, Joaquin Phoenix, Summer Phoenix and Liberty Phoenix. Phoenix's work encompassed 24 films and television appearances, including the science fiction adventure film Explorers, the coming-of-age film Stand by Me, the action sequel Indiana Jones and the Last Crusade and the independent adult drama My Own Private Idaho. Phoenix's meteoric rise to fame led to his status as a "teen sensation".
River Jude Phoenix (August 23, 1970 – October 31, 1993) was an American film actor, musician, and activist. He was the older brother of Rain Phoenix, Joaquin Phoenix, Summer Phoenix and Liberty Phoenix. Phoenix's work encompassed 24 films and television appearances, including the science fiction adventure film Explorers, the coming-of-age film Stand by Me, the action sequel Indiana Jones and the Last Crusade and the independent adult drama My Own Private Idaho. Phoenix's meteoric rise to fame led to his status as a "teen sensation".
大沢たかおさんの似顔絵【鉛筆画】を描いてみました。
沢木耕太郎さん原作の「深夜特急」の大沢たかおさんが良かった。
ビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)が流れてくるところはBGMの良さも加わって最高。
本人は似顔絵というよりか、デッサンの練習のつもりでやっているのですが、人の顔の場合、どこかが狂っていると似ないので、自己判定が楽なような気がします。
今回はリクエストで、私も好きな大沢たかおさんを描いてみました。
「深夜特急」というインドからロンドンまで乗り継ぎバスで旅をするという沢木耕太郎さん原作のドラマを見てからの長いファンです。
沢木耕太郎さんの随筆(?)では、マドリッドの奇蹟の家(大衆レストラン)で、日本人がたむろしていて、自分はああいう類の旅行者とは一線を画すというような記述がありましたが、ああいう類のたむろしてた人たちの中に一時私もいました。 Orz
どうでしょうか。顔だけデッサンしていても上手にならないかも知れないので、身体全体を描くデッサンも必要かなとも思います。
ビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)が流れてくるところはBGMの良さも加わって最高。
本人は似顔絵というよりか、デッサンの練習のつもりでやっているのですが、人の顔の場合、どこかが狂っていると似ないので、自己判定が楽なような気がします。
今回はリクエストで、私も好きな大沢たかおさんを描いてみました。
「深夜特急」というインドからロンドンまで乗り継ぎバスで旅をするという沢木耕太郎さん原作のドラマを見てからの長いファンです。
沢木耕太郎さんの随筆(?)では、マドリッドの奇蹟の家(大衆レストラン)で、日本人がたむろしていて、自分はああいう類の旅行者とは一線を画すというような記述がありましたが、ああいう類のたむろしてた人たちの中に一時私もいました。 Orz
どうでしょうか。顔だけデッサンしていても上手にならないかも知れないので、身体全体を描くデッサンも必要かなとも思います。
2013年10月23日水曜日
ジェームズ・ディーン James Dean の似顔絵【デッサン】
エリア・カザンの「エデンの東」を見たときのショックは、若かっただけに忘れられません。
普通、「愛」をテーマにした映画というのは、まあ、恋愛ですね、若い男女間のそれを描いているものが多いじゃないですか。
しかし、エデンの東は違いました。
屈折した次男坊の、父親に対する愛を描いたんですね。
父親も長男に期待をかけていたものだから、次男坊の心のうちなんか、なかなか理解できません。
映画の最後の方では涙が出ました。
というわけで、今回は、若くして自動車事故で逝ったジェームズ・ディーンを取り上げました。
エリア・カザンといえば、白黒映画だったかで「草原の輝き」という映画を、監督が誰なんて気にせず知らずに見ました。
途中から、凄いぞ(凄くいいぞ、一流だな)この映画は・・・と思いながら、まあ、最後までは夢中で観ていたわけですが、終わった時に、監督がエリア・カザンだと分かりました。なるほど・・・と合点がいきました。そういう思い出があります。
まあ、ナタリー・ウッドにつられて観たのかも知れませんが。
普通、「愛」をテーマにした映画というのは、まあ、恋愛ですね、若い男女間のそれを描いているものが多いじゃないですか。
しかし、エデンの東は違いました。
屈折した次男坊の、父親に対する愛を描いたんですね。
父親も長男に期待をかけていたものだから、次男坊の心のうちなんか、なかなか理解できません。
映画の最後の方では涙が出ました。
というわけで、今回は、若くして自動車事故で逝ったジェームズ・ディーンを取り上げました。
エリア・カザンといえば、白黒映画だったかで「草原の輝き」という映画を、監督が誰なんて気にせず知らずに見ました。
途中から、凄いぞ(凄くいいぞ、一流だな)この映画は・・・と思いながら、まあ、最後までは夢中で観ていたわけですが、終わった時に、監督がエリア・カザンだと分かりました。なるほど・・・と合点がいきました。そういう思い出があります。
まあ、ナタリー・ウッドにつられて観たのかも知れませんが。
2013年10月22日火曜日
2013年10月21日月曜日
HANS BALUSCHEK
Hans Baluschek (9 May 1870 Breslau – 28 September 1935 Berlin) was a well-known German painter and writer, a member of Berlin Secession.
He is known for his illustrations of the fairy tale Peter and Anneli's Journey to the Moon.
He is known for his illustrations of the fairy tale Peter and Anneli's Journey to the Moon.
2013年10月20日日曜日
2013年10月19日土曜日
2013年10月17日木曜日
ゴッホの「夜のカフェテラス」を鉛筆画で模写 Vincent van Gogh
夜のカフェテラスはゴッホのアルル時代、1888年9月に描かれました。
この絵の事は、弟のテオに手紙で書いていて、補色関係にある青(紺)の夜空と黄色の灯りで、愛し合う恋人たちが手を取り合うような感じを表現したかったといいます。
も1つ別に「夜のカフェ」というのを同じ頃に描いていて、それは室内で、酒で身を持ち崩すような世界を赤や緑や黄色で表現したかったとか。
ゴッホは色彩に関する理論的なことに凄く関心があって、色々計算をして絵を描いていたようです。
白黒写真が世に広まる時期で、自分の絵が質の悪い写真に撮られたら、どんなふうに写るかまで計算していた形跡(残された手紙の文面から)もあります。見栄えを気にしていたようで、油絵の具の経年劣化まで計算に入れて、鮮やか過ぎるくらいの色を用いたふうなところもあるとか。
8月に郵便配達夫のルーランと親しくなって、10月下旬にゴーギャンがアルルに到着して、2人の共同生活が始まるのですが、その狭間の充実した期待感のあふれる時期で、精神的に高揚していたと思われます。何日か通って、徹夜して描いたと言います。このカフェは現在も実在します。
日本ではこの絵がかなり人気があるとか、どっかにありました。
私はどちらかというと、糸杉や麦畑や月夜の絵が気に入っていますが。
ちょうど30分かかりました。
この絵の事は、弟のテオに手紙で書いていて、補色関係にある青(紺)の夜空と黄色の灯りで、愛し合う恋人たちが手を取り合うような感じを表現したかったといいます。
も1つ別に「夜のカフェ」というのを同じ頃に描いていて、それは室内で、酒で身を持ち崩すような世界を赤や緑や黄色で表現したかったとか。
ゴッホは色彩に関する理論的なことに凄く関心があって、色々計算をして絵を描いていたようです。
白黒写真が世に広まる時期で、自分の絵が質の悪い写真に撮られたら、どんなふうに写るかまで計算していた形跡(残された手紙の文面から)もあります。見栄えを気にしていたようで、油絵の具の経年劣化まで計算に入れて、鮮やか過ぎるくらいの色を用いたふうなところもあるとか。
8月に郵便配達夫のルーランと親しくなって、10月下旬にゴーギャンがアルルに到着して、2人の共同生活が始まるのですが、その狭間の充実した期待感のあふれる時期で、精神的に高揚していたと思われます。何日か通って、徹夜して描いたと言います。このカフェは現在も実在します。
日本ではこの絵がかなり人気があるとか、どっかにありました。
私はどちらかというと、糸杉や麦畑や月夜の絵が気に入っていますが。
ちょうど30分かかりました。
2013年10月15日火曜日
2013年10月14日月曜日
ゴッホの自殺の動機
最近、ゴッホに関心が向いてしまって、亡くなった原因というか、銃で自傷したということになっていますが、何故だろうかというのを考えています。 様々な説がありますが、 一般的には、大きく分けて ①自殺説 ②他殺説 があって、 自殺説では ①テオ(弟)からの支援が切れることへの不安説 ②テオへ、これ以上迷惑をかけられないという思い とか、あって、 他殺説では ①近所の若い男2人組に銃なんか危険だからと諭しているうちに暴発したとか、それをかばって警察の事情聴取には自分で撃ったとか言った。 ②テオが撃った。(馬鹿げていますけど) とかあるようです。ほかにもあります。 だいたいにして、銃も見つかっていなくて ①麦畑の害鳥を追い払うための猟銃説だったり ②短銃だったり・・・します。 最近、この人の説が真実に近いんじゃないかというようなサイトをみつけました。 それは、 計画的に自殺したというものです。 ゴッホの亡くなる前の年に1975年に亡くなったコローの絵が、画商の間で、高値で取引されるようになって、値段が急騰したのです。 そのことをゴッホが知っていて、更に、今まで随分と、弟テオにお世話になっていたものの、弟テオは画商の会社での上司との間で、今まで通りのアカデミックな絵か、印象派の絵を推すかでトラぶっていて、画廊をやめて独立するか(それには資金が必要)、悩んでいた。 弟は自分の子供に「フィンセント」という名前をつけるくらい兄である自分を信頼していてくれた。 ゴッホの絵の評価は、1890年の1月頃から、好意的な論評も出てきて、評価が上がってきていた。 ゴッホは亡くなる7月(27日に銃を撃って、29日に死亡)の直前、1890年の6月と7月に、絵を量産している。 ・・・ということから、今まで自分を支援してきてくれた弟に報いるためと、自分が弟の重荷になっているということを一気に解決するために自殺したというものです。 今までの説と違うのは、自己中心的で、援助が打ち切られることに対する不安から・・・というのではなく、自己犠牲的な、弟の家族の生活の安定を願って、自分の絵の市場での価値を、コローのように死ぬことによって吊り上げるために、死んで恩返ししようとしたというものです。 なんとなく、この説が最も真実に近いような気がするのです。 亡くなった年の、6月と7月に描いた油絵は60枚を超えています。 55日間で65枚ほど。普通、そんなに油彩画を量産するモチベーションとか、なかなか生じるものではないでしょう? それほどの凄まじい勢いで、厚塗りで絵の具をどんどん消費して、円熟期の絵を量産しました。 今ある援助資金を画材でどんどん減らしてしまったら絵の道を進んで行くというのが益々難しくなるとか思ったら、そんなに絵を描くものでしょうか。 大作も手掛けているので、創作意欲は相当ありました。 そして、その2か月間は精神的な病気の発作もなかった、順調な時期です。 なので、もしかして、その計画的な自殺を考えたのは、1890年の5月頃ということになるでしょうか。 その頃は、自分の絵も徐々に認められつつあるということは、ゴッホにも分かっていた時期です。 ゴッホの手紙にも、コローの事が出てくるのです。コローが死んだら絵の値段が吊り上がったということは書いてはありませんが。 そして、もしかして、弟テオは兄が死んだのは、自分たちに迷惑をかけないように、しかも(ゴッホの)絵の値段を吊り上げてまで報いたかったんだ・・・というのが分かってしまったのかも知れません。 弟のテオ、その奥さんのヨー、甥っ子のフィンセント、その大事な3人に恩返しをする手段が、自殺だったのでは?という感じもするのです。 結果的に弟テオは、半年後に亡くなるまで、兄の絵の展覧会を催したりしますが、病気で亡くなってしまって、その妻、ヨーがゴッホの絵を世に認めてもらおうと、努力をすることになるのです。 その後の評価は年を追うごとにどんどん吊り上がっていきました。 |
2013年10月13日日曜日
ゴッホの素描 1890年
Vincent van Gogh
Drawing, Pencil, black chalk
Saint-Rémy: March - April, 1890
Museum Folkwang
Essen, Germany, Europe F: 1550, JH: 1897
Vincent van Gogh
Drawing, Pencil, black chalk
Saint-Rémy: March - April, 1890
Museum Folkwang
Essen, Germany, Europe F: 1550, JH: 1897
Image Only - Van Gogh: Enclosed Field with a Sower in the Rain
ゴッホの素描 1888年
Vincent van Gogh
Drawing, Pencil, reed and quill pens and black and brown ink on Whatman paper
Arles: 14-Aug, 1888
The Cooper Hewitt Museum
New York, New York, United States of America, North America F: 1462, JH: 1556
Vincent van Gogh
Drawing, Pencil, reed and quill pens and black and brown ink on Whatman paper
Arles: 14-Aug, 1888
The Cooper Hewitt Museum
New York, New York, United States of America, North America F: 1462, JH: 1556
Image Only - Van Gogh: Quay with Men Unloading Sand Barges
2013年10月12日土曜日
2013年10月11日金曜日
2013年10月10日木曜日
どういった絵を描きたいのか
どういった絵を描きたいのか、自分の内なる欲求が見えてこないとき、先人の作品の中から、好みの絵を探すのも悪いことではないような気がする。
音楽家や小説家はどうなのだろうか。
その道を志す時に、ああいう感動した曲に巡り合えたとか、あの小説で涙が出たとか、そういうのもその道を志望する動機になってることもあるのでは?
と考えて、色々な作品を見てきたものの、なかなか定まらない・・・というので、少しづつ、自分はこういう絵は描かないな・・とか、更に進めて描きたくないな・・というものまで、意識して肝に銘ずることも悪くないような気がする。
人それぞれなので、興味があるかないかの問題であって、別に自分が興味がないからといって、その人をけなすわけではないし。・・・・ということで、自分の好みを分析してどういった方向に進もうか、仕事の合間に手を休めたときとかそういうことを考えたりする。
ま、けっこう四六時中考えて、まるで絵を描かない状態というのが、けっこう長く続いているので、気持ちを整理してみる。
まず、自分はスーパーリアリズムと写実的な絵には、ほとんど興味がないというのが、なんとなく判ってきた。
宗教的な絵とか、歴史上の事実に沿って想像で描くというのにも興味がなくて、肖像画にはさほど興味が湧かず、かといって人物画には大いに興味がある。
それと、シュールレアリスムの絵は、全く苦手だというのも分かってきた。とは言いながらマグリットの「大家族」には惹かれてしまう。ピカソの後期のものは、無理だけど。
大雑把に分けると、抽象画と具象画、自分は抽象画が苦手だ。
しかし、具象的な絵画でも、スーパーリアリズムとかハイパーリアリズムの絵には、「ご苦労様、お疲れ様」という感覚はあるが、あまり好きではないのが分かっている。
古典の先達の写実的な絵も、細かなところでは間違っていて、さっぱり写実的でないのも分かっているので、興醒めしている。特に、「遠近法」はどれもこれも間違っているか、故意に歪曲して、写実的ではなくなっているので、9割方写実的で、1割は嘘だというのは、最早、デフォルメではないかという感じで、絵とか筆のタッチとかを練習しようとして真似するのはいいが、カラー写真がある今の時代に、描き方まで倣いたいという感じはない。
で、結局のところ、どういったのがいいかというと、印象派以後の作風ということになるだろうという予感がしている。
ただ、印象派の絵も、絵の具を混ぜなかったり点描したりでも、基本的に写実的だったので、ちょっと違うなという感じ。
結局、ポスト印象派の辺りが一番、自分(の好みに)に合っていて、それ以後の近代絵画の実験みたいな絵は、自分には無理だな(というか描きたくないな)という感じかも知れない。
で、どういった絵を描きたくないのか・・というのがうっすらと分かってきて(煮詰まってきて)、YouTubeにあるような、「風景画の描き方を伝授します」、というような絵。
ああいうのが、(非難するわけではなく好みの問題だと思う)描きたくない。
特に海外の動画作品(YouTube)に多いが、写真を見て、それを基に組みなおして、少々デフォルメして描くのはいいとしても、まるで空想で、写実的な絵を、テクニックでささささっと描いていく。ああいうのがいただけない。
絵は技術もあろうけど、「描画技術ではない」だろうと思う。
(反面教師にしています、参考にもしてるけど)
何か自分に由縁のある、家族とか父母とか、親戚とか、友人とか孫とか、愛情を注いだペットとか自分の育った街とか、とんでもなく感動した景色とか物事とか、おやっと気になってしょうがないものとかそういったものを描くのなら話は分かる。なんの因果もない、空想上の景色などを(たまに人物を入れたりする、寂しいという理由だけで?)写実的に描いて何が楽しいんだろうと思ってしまうわけです。
空想なら、抽象的に描いて欲しい。(描く人の勝手で、こちらで注文はつけられませんが)
音楽家や小説家はどうなのだろうか。
その道を志す時に、ああいう感動した曲に巡り合えたとか、あの小説で涙が出たとか、そういうのもその道を志望する動機になってることもあるのでは?
と考えて、色々な作品を見てきたものの、なかなか定まらない・・・というので、少しづつ、自分はこういう絵は描かないな・・とか、更に進めて描きたくないな・・というものまで、意識して肝に銘ずることも悪くないような気がする。
人それぞれなので、興味があるかないかの問題であって、別に自分が興味がないからといって、その人をけなすわけではないし。・・・・ということで、自分の好みを分析してどういった方向に進もうか、仕事の合間に手を休めたときとかそういうことを考えたりする。
ま、けっこう四六時中考えて、まるで絵を描かない状態というのが、けっこう長く続いているので、気持ちを整理してみる。
まず、自分はスーパーリアリズムと写実的な絵には、ほとんど興味がないというのが、なんとなく判ってきた。
宗教的な絵とか、歴史上の事実に沿って想像で描くというのにも興味がなくて、肖像画にはさほど興味が湧かず、かといって人物画には大いに興味がある。
それと、シュールレアリスムの絵は、全く苦手だというのも分かってきた。とは言いながらマグリットの「大家族」には惹かれてしまう。ピカソの後期のものは、無理だけど。
大雑把に分けると、抽象画と具象画、自分は抽象画が苦手だ。
しかし、具象的な絵画でも、スーパーリアリズムとかハイパーリアリズムの絵には、「ご苦労様、お疲れ様」という感覚はあるが、あまり好きではないのが分かっている。
古典の先達の写実的な絵も、細かなところでは間違っていて、さっぱり写実的でないのも分かっているので、興醒めしている。特に、「遠近法」はどれもこれも間違っているか、故意に歪曲して、写実的ではなくなっているので、9割方写実的で、1割は嘘だというのは、最早、デフォルメではないかという感じで、絵とか筆のタッチとかを練習しようとして真似するのはいいが、カラー写真がある今の時代に、描き方まで倣いたいという感じはない。
で、結局のところ、どういったのがいいかというと、印象派以後の作風ということになるだろうという予感がしている。
ただ、印象派の絵も、絵の具を混ぜなかったり点描したりでも、基本的に写実的だったので、ちょっと違うなという感じ。
結局、ポスト印象派の辺りが一番、自分(の好みに)に合っていて、それ以後の近代絵画の実験みたいな絵は、自分には無理だな(というか描きたくないな)という感じかも知れない。
で、どういった絵を描きたくないのか・・というのがうっすらと分かってきて(煮詰まってきて)、YouTubeにあるような、「風景画の描き方を伝授します」、というような絵。
ああいうのが、(非難するわけではなく好みの問題だと思う)描きたくない。
特に海外の動画作品(YouTube)に多いが、写真を見て、それを基に組みなおして、少々デフォルメして描くのはいいとしても、まるで空想で、写実的な絵を、テクニックでささささっと描いていく。ああいうのがいただけない。
絵は技術もあろうけど、「描画技術ではない」だろうと思う。
(反面教師にしています、参考にもしてるけど)
何か自分に由縁のある、家族とか父母とか、親戚とか、友人とか孫とか、愛情を注いだペットとか自分の育った街とか、とんでもなく感動した景色とか物事とか、おやっと気になってしょうがないものとかそういったものを描くのなら話は分かる。なんの因果もない、空想上の景色などを(たまに人物を入れたりする、寂しいという理由だけで?)写実的に描いて何が楽しいんだろうと思ってしまうわけです。
空想なら、抽象的に描いて欲しい。(描く人の勝手で、こちらで注文はつけられませんが)
2013年10月8日火曜日
2013年10月7日月曜日
2013年10月6日日曜日
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