2014年3月1日土曜日

ワンルーム


額縁の作り方

地震の年表

グレゴリオ暦684年11月29日
白鳳地震(はくほうじしん)は白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。


745年 グレゴリオ暦6月5日
天平地震(てんぴょうじしん)は、奈良時代に美濃国を中心として発生したと推定される地震。
1891年濃尾地震に匹敵する。


864年(貞観6年5月)富士山噴火


869年(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M 8.3〜8.6(Mw >8.7)、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人


887年
(8月2日)(仁和3年7月6日) 越後西部を震源、M 6.5。津波による溺死者は1000人にのぼったとされる(『日本三代実録』)。


887年、8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8〜8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある。


1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海・東南海地震) - M 8〜8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害。


1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。


1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日) 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) - M 7.1、建長寺などで火災発生、死者2万3,000人あまり、余震多発。


1498年
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海・東南海地震) - M 8.2〜8.4、死者3万〜4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される。


1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。


1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。


1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ連動型地震説、東海はるか沖地震説、又は房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。


1611年


1662年


1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M 6 3/4前後、死者1,400〜1,500人。


1703年


1707年


1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M 6.9(Mt 8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。


1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M 7.0〜7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。


1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M 6.9或いはM 7 1/4±1/4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。


1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M 7.4〜8.0(Mt 8.5)、死者約12,000人。最大遡上高85m(日本記録『大波之時各村之形行書』)。安房まで津波の到達と記録あり。


1792年
1828年12月18日(文政11年11月12日) 三条地震(越後三条地震) - M 6.9、死者1,681人。


5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震(弘化大地震) - M 7.4。山崩れにより犀川の河道閉塞と閉塞部の決壊により洪水、死者約1万〜1万3,000人。


1854年
855年
11月11日(安政2年10月2日) 安政江戸地震(安政の大地震) - M 7.0〜7.1、死者4,700〜1万1,000人。

1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M 8.0、死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。














 

スタルヒン

ヴィクトル・スタルヒンは、ロシア帝国生まれ、北海道育ちのプロ野球選手(投手)。

戦時中は「須田 博(すた ひろし)」に改名。

沢村栄治と並ぶプロ野球黎明期の名投手で、NPB史上初の通算300勝を達成、日本プロ野球界初の外国生まれの選手であった。

田中将大といえどもスタルヒンを超えることが出来るかどうか。

濃尾地震 と 天正地震

天正地震(てんしょうじしん)は、天正13年11月29日(1586年1月18日)に日本の中部で発生した巨大地震である。

濃尾地震
 

濃尾地震 日本史上最大の内陸地震 1891年

濃尾地震(のうびじしん)は、1891年(明治24年)10月28日に濃尾地方で発生した、日本史上最大の内陸地殻内地震。「美濃・尾張地震(みの・おわりじしん)」とも呼ばれている。

濃尾2県はもとより、近隣の滋賀県や福井県にも被害は及んだ。明治時代では最大規模の地震であり、宇佐美龍夫“新編日本被害地震総覧”によると、死者は7273名、負傷者17175名、全壊家屋は14万2177戸を数えた。震央近くでは、揺れにより山の木が全て崩れ落ち、はげ山になったなどと伝えられる。また岐阜市と周辺では火災が発生し被害を大きくした。岐阜の壊滅を伝える新聞記者の第一報は、「ギフナクナル(岐阜、無くなる)」だったという。
濃尾地震の震度分布は大森房吉により求められ、名古屋など愛知県から岐阜県、福井県を貫く広い範囲で震度6相当となっている。だが、当時の震度階級は4段階で最大でも震度6相当であり、根尾谷を始め、岐阜県西部から愛知県にかけて家屋倒壊率が90%を上回る地域もあり、震度7と推定される地域も美濃から尾張(一部越前、三河)にかけて分布している[5][15]。

記録のある過去の歴史地震では、745年6月5日(天平17年4月27日)に美濃を中心として発生した天平地震が濃尾地震と類似した地震とする見方もある[6][7]。また1586年1月18日(天正13年11月29日)に発生した天正地震も、この地域を襲っており、より広大な範囲に被害をもたらしているが、震源域は不明な点が多い[8]。

745年 天平地震
1586年 天正地震
1891年 濃尾地震

明治三陸津波は震度が2~3だったのに長さは5分ほど続いた。 1896年

明治三陸地震は、震度が小さいにもかかわらず、巨大な津波が発生し、2万人を超す犠牲者が出た。これは、この地震が巨大な力(マグニチュード8.2- 8.5)を持ちながら、ゆっくりと動く地震であったためである[18]。最近の研究では、この時、北アメリカプレートと太平洋プレートが幅50km、長さ210kmにわたって12- 13mずれ動いたことが分かってきた。太平洋プレートの境界面には柔らかい堆積物が大量に溜まっており、それが数分にわたってゆっくり動いたと推定される。その独特の動きが激しく揺れる地震波よりもはるかに大きなエネルギーを海水に与えたと考えられる。

1888年(明治21年)の磐梯山の噴火
1891年(明治24年)の濃尾地震。

1896年 明治三陸津波

人的被害