大きなミスなのですが、どれだけ自分が名画でもなんでも、対象を良く見ていないで、思い込みが強いかということへの反省もさせられました。
フェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」は原画では、耳飾りの輝きが、この絵の1つのポイントだと思うんです。
レンブラントとかフェルメールなどは、光をキャンバスに表現したかった画家ですから、耳飾りの光り方とか、目の輝きとか、半開きの唇の左端(向かって右端)の濡れているところの表現とか、そこも重要な見どころだったと思うのです。
ところがところが、自分が過去に描いた鉛筆画の模写は、耳飾りが2個だと勘違いした思い込みのまま、描いてしまったのです。
実際は光の加減でそう見えないこともないにしても、よく見れば、1個の大きな真珠だったことがすぐに分かります。
もう話にならない鑑識眼というか、目ですが、気付いた以上、直してみました。
考えてみると、ここ1か月か1か月半の間に、いくらかは、ものを見る目が肥えたというか、注意深くはなったのだと思います。
フェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」は原画では、耳飾りの輝きが、この絵の1つのポイントだと思うんです。
レンブラントとかフェルメールなどは、光をキャンバスに表現したかった画家ですから、耳飾りの光り方とか、目の輝きとか、半開きの唇の左端(向かって右端)の濡れているところの表現とか、そこも重要な見どころだったと思うのです。
ところがところが、自分が過去に描いた鉛筆画の模写は、耳飾りが2個だと勘違いした思い込みのまま、描いてしまったのです。
実際は光の加減でそう見えないこともないにしても、よく見れば、1個の大きな真珠だったことがすぐに分かります。
もう話にならない鑑識眼というか、目ですが、気付いた以上、直してみました。
考えてみると、ここ1か月か1か月半の間に、いくらかは、ものを見る目が肥えたというか、注意深くはなったのだと思います。
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