2014年10月24日金曜日

フォンテンブローの森

19世紀のフランスの画家でフォンテンブローを描くことが多かったのはどうしてか。

19世紀にチューブ入り絵の具が発明されて、戸外で写生する画家が多くなったときに、フォンテンブローを描く人が多かったのは、1849年8月に鉄道が敷設されたのと関係がある。
フランスの王室は春になると6週間、フォンテンブロー宮殿に移って生活したので、パリ市民は、休日の日曜日に90分で鉄道を利用して行けるようになった当地には、王室のピクニックなどとも出遭うかもしれないという興味もあった。
そこで、フォンテンブローの森の様々な景観を楽しんだりすることが流行するようになった。
セーヌ川が流れており、ボート遊びもレジャーとして流行したので、画題には事欠かなかったのではないか。
自動車がまだ普及しておらず、二輪馬車でさえ幸運な者しか乗れなかった時代に、徒歩でも散策できる条件と言うのはパリ市民、又、当時の画家にとっては好都合だった。

シャイイの舗道 (Le Pave de Chailly)

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