2013年9月30日月曜日

9月30日

9月には31日がない。

リッカルド・ベリ「北欧の夏の宵」

リッカルド・ベリ「北欧の夏の宵」


リッカルド・ベリ (1858年 - 1919年)は、ゴッホより5歳若い人。
スウェーデンの画家。

 
 

リッカルド・ベリ「北欧の夏の宵」


リッカルド・ベリ「北欧の夏の宵」


リッカルド・ベリ (1858年 - 1919年)は、ゴッホより5歳若い人。
スウェーデンの画家。


 

2013年9月29日日曜日

ゴッホ(1853年 - 1890年)の時代の時代背景

ゴッホ(1853年 - 1890年)の時代の時代背景

鉄道(蒸気機関車)がある程度普及しており、自転車が普及し始めた時代
1861年にフランスでミショー型自転車が発売された。
これは現在の小児用の三輪車と同じようにペダルを前輪に直接取り付けたものであった。
1825年 世界初の商用鉄道が現れる。
イギリスのストックトン・ダーリントン間を結ぶ鉄道が開業した。これが世界初の商用鉄道とされている。
以後、欧米各地で鉄道の建設が活発になり、1827年にアメリカ、1832年頃にフランス、1835年にドイツで鉄道が開業した。
また、当時、イギリスの植民地化が進んでいたインドでも1853年に鉄道が開業した。
1837年 イギリスのロバート・デビッドソンにより電気機関車が製作される。
1841年 イギリスで腕木信号機が考案される。
1863年 イギリス、ロンドンで地下鉄が開業。蒸気機関車を用いた地下鉄。

電話交換機を発明したのはハンガリー人技師プシュカーシュ・ティワダルで、
1876年のことである。これによって電話交換が可能となり、電話網が構築できるようになった。

ラジオはない。もちろん、映画もテレビもない。
1871年にリチャード・リーチ・マドックスが写真乾板を発明し、カメラマンは既製品を使うことができるようになった。
また、初めてカメラは手持ちに充分なほど、または隠すことさえできるほど小さくなった。
携帯カメラからフィールドカメラまで、いろいろなデザインが激増した。
1900年頃までにカメラにシャッター(露出時間調整用)を内蔵することが一般的になった。それまでは独立していた別物。

現代のサッカーは1863年にロンドンで設立されたフットボール・アソシエーション (The FA) の設立にその起源を持つ。
FAは試合の様々な要素を標準化するための基礎を作った。
1870年代以降電気が利用できるようになり、白熱電球など電気を利用した光源(電灯)の使用が始まる。


なので、ゴッホの時代には、長距離の移動には汽車を使い、短距離は徒歩が一般的だった。
電話はなかったが郵便システムはあった。
ラジオ・映画・テレビの類の娯楽はない。
サッカーなどのプロスポーツの興行もなかった。
ゴッホが20歳ごろから、電灯が使用されるようになるところも出てきた。
このような時代では、職業の種類も多くはなかったことが想像できる。

2013年9月28日土曜日

1885年4月にニュネンで描かれた 「日没の風景」 Van Gogh


ゴッホ 夕暮れの風景 1885年4月 Van Gogh

 

本当に3000兆円の富が消えたのでしょうか?

米国のサブプライムローン関連の信用崩壊などに端を発した世界的な株価の下落で、全世界で3000兆円ほどの損失が出たとか報じられていますが、そもそも、物理的なエネルギー不変の法則のように、経済的な価値も、損する人がいれば、得をする人がいるので、この世の富の総額は不変ではないにしても、瞬間的に大きく変わるものではないように思えるので「3000兆円の損失」がにわかには信じられません。本当に3000兆円の富が消えたのでしょうか?
戦争などで大規模に何かが破壊されたのなら別ですが・・・

アルルの夜のカフェにて(ジヌー夫人)・・・ゴーギャン

ゴッホも同じジヌー夫人をテーマに絵を描いたが、二人の描き方は別として、
同一人物を描いたと分かるほど、(姿、形が)似ている。

二人共に、描写力が優れていたことの証だろうと思う。

ゴーギャン作 ↓

アルルの夜のカフェにて(ジヌー夫人) 

ゴッホ兄弟の生涯

自然と泪が出てくるような生涯でした。

ゴッホ兄弟の生涯

モンゴル横断鉄道

モンゴル横断鉄道ということでいいのだろうか

2013年9月27日金曜日

高画質・ワンタッチ写真全盛時代の絵画

油絵にも、無意識になっているかも知れないが、ルールはある。 ほとんどが四角いキャンバスに描くし、それは正方形ではない。
また、白黒で描く人はほとんどいない。それに、キャンバスは埋め尽くす。地肌を露出させることはほとんどない。
しかし、昔はいろいろ、価値(基準?)が変わっていた。 だいたいが、宗教的な絵から始まった様子。 それに、白黒写真ももちろんカラー写真もない時代に、資産階級の肖像画としての「絵描き」という需要はあった。 その年代の風俗(生活)を絵にするという考えは後になって出てきた。風景も比較的近年になって描かれるようになった。
油絵具をチュ-ブに入れる技術が確立されてから、屋外で写生する画家も多くなってきた。 人体の解剖学や遠近法を学ばなくても、メッシュを通して対象物を細かに見て書き写すという作業を繰り返せば不自然ではない遠近法に則った絵は描けたと思う。
今なら、写真に細かなメッシュをかけて、相似形のものをキャンバスに描き移すとか、スライド投影機で投影させながらなぞるという作業をすれば、迫真の「絵」が描けるだろう。
しかし、高画質・ワンタッチのオールカラーのカメラが出来て、PCで明るさや色の濃さまで手軽に調節・固定できるような時代に、写実的でリアルな絵に、どれほどの人が感動するだろうか?
また、金さえ出せば行って見れるような素晴らしい景色の、すぐさまカメラを取り出して、「記録に収めたくなるような」景色を絵にしたところで、どれだけ心がわくわくするだろうか?
そうして思いをめぐらしてみると、ゴッホのへたくそな絵が、どうして「へたくそ」で終わらずに、様々な人を感動させるかが分かるような気がする。
後世にゴッホが評価されたのは、オールカラーの細密な写真が、いとも簡単に記録できるようになってしまったことと無縁ではないような気がする。 もちろん音楽や小説やNEWSや、その他諸々と同じように、人の感性には個人差があるので、感じ方は千差万別だろうけど。
ヴラマンクの絵もいいところがあるけど、なにかあまりにも簡単に描きすぎているような気もして、自分のいいなと思う絵は、モネやゴッホやスザンヌ、佐伯祐三辺りで、止まってしまっている。こいうのも「個人差」なのだろうが。

産業革命は1760年代~1830年代 ライトは1734年~1797年

「産業革命」という言葉が初めて使われたのは1837年ルイ・オーギュスト・ブランキによってである。その後、1844年フリードリヒ・エンゲルスによって広まり、アーノルド・トインビーが著作の中で使用したことから学術用語として定着した。もともとは1760年代から1830年代にかけてイギリスで起こった。

ジョセフ・ライトについて
ジョセフ・ライト: Joseph Wright1734年9月3日 - 1797年8月29日

ジョセフ・ライトが産業革命を題材に絵を描いた最初の画家というのもうなずける。

ジョセフ・ライトの「空気ポンプの実験」(1768年)ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

肖像画制作というと「芸術」とは別物のような感じがしますが、カラー写真のない時代に、これだけ写実的な絵は感嘆の的だっただろうと察します。
肖像画で生計を立てられたのもうなずける腕前です。
かなり大きな絵であり、出来上がるまでの根気の要った作品でしょう。