2014年11月3日月曜日

ヴィクトリア女王の「皇帝」観

ヴィクトリアはかねてよりロシア皇帝、オーストリア皇帝が世界一の大国の君主である自分を差し置いて皇帝号(Emperor)を名乗っているのが気に入らなかった。

その後、プロイセンまでドイツ皇帝を名乗り始めており、イギリス君主も皇帝号を得る時だと考えるようになった。

またドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の高齢化が進むと、ヴィクトリアはその皇太子フリードリヒ(フリードリヒ3世)に嫁がせた自分の長女ヴィッキーが近いうちに「Queen」より上格の「Empress(皇后,女帝)」号を得ることを懸念するようになった。

娘より下に置かれるわけにはいかないと考えたヴィクトリアは「インド女帝(Empress of India)」号を公式に得たがるようになった。

1876年1月に首相ベンジャミン・ディズレーリにその旨を指示し、彼に議会との折衝にあたらせた結果、4月に王室称号法によって「インド女帝」の称号を公式に獲得した。

彼女はその日の日記に嬉々として「これで私は今後署名する時に『女王および女帝』と書く事ができる」と書いている。

女王とヴィッキー(女王の長女)は4000通もの手紙のやり取りをしている。

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