2014年11月16日日曜日

葛西大崎一揆

政宗が一揆に書状を送るなどして煽動したという疑惑については、政宗の関与を否定するむきも有るが、政宗自身が一揆を煽動していたとの見解が最有力である。

奥州仕置で惣無事令後に獲得した会津ほか8郡を没収された政宗が、失地回復の手段として、一揆を起こさせて新領主の木村を失脚させ、一揆鎮圧の功績を以て葛西・大崎旧領を獲得しようと企んだ、というのが大体の筋書きで、須江山における一揆謀殺も、証拠湮滅のために行われたと見られている。

仙台藩が実高100万石とも称されるようになるには、寛永3年(1626年)の川村重吉による北上川改修工事の完成後。

昔は一揆、今は選挙

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