2014年11月13日木曜日

ゴッホのフランス語

ゴッホは1888年の2月に、パリから南仏のアルルに引っ越した。

それまでは2年間、弟のところに居候して、喧嘩も絶えなくなるころに、春を前にして移動した。

そのあとの弟とのやりとりは、オランダ語ではなく、フランス語で手紙をやりとりしている。1890年に亡くなるまでの2年半なのだが、凄いものだ。

ゴッホの画塾での年下の友人、ベルナールが、ゴッホはフランス人になろうとしたと言っているのも頷ける。

画業に差し障るほどと言おうか、絵を描くにあたっての糧ともするためなのか、癒しなのか、絵と同じくらいに読書に夢中になったゴッホは、フランス語の小説も原語で読んだ。

ラジオもテレビもない時代、写真がやっと普及し始めた娯楽の少ない時代に、家庭を持たず読書と、外に出ての写生にいそしんだ、決して語学の才能がなかったわけではないゴッホの絵を描こうとするモチベーションにはほとほと感心させられる。

フランス語が達者なわりには、そのほかの仕事は一切、考えていなかった。生前認められなかったのに絵を描くことに関しての迷いは、全くなかったといっていいだろう。

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