箟峯寺は宮城県遠田郡涌谷町にある天台宗の寺院である。
別称は箟岳観音。
箟岳山の山頂にあり、奥州三十三観音の第九番札所に数えられている。
奈良時代の創建と伝えられ、当初霧岳山正福寺と称していたが、嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、無夷山箟峯寺と改称した。
奈良東大寺の大仏は聖武天皇の発願により、律令国家が膨大な国費をつぎ込んで完成した一大事業でした。
天平21年(749年)の早春、大仏本体の鋳造が秋には完了するメドがたったというのに、仏体を鍍金する金の量が決定的に不足していました。
しかしその2月、絶妙のタイミングで陸奥守百済王敬福が、小田郡で黄金を発見したことを報告したということが、『続日本記』に書かれています。
同年4月、天皇は東大寺に行幸して、黄金産金を大仏に報告しました。金は、国内にはないと思っていた。それなのに待望の金が陸奥国の小田郡に出た。
大伴家持は、「万葉集」に歌を遺しています。
天皇の
御代栄えむと東なる
陸奥山に金花咲く
天平の産金地の黄金山は箟岳山塊の全体を指すものと理解されます。
黄金山神社と天平の仏堂の存在は、神社下の黄金沢で今日なお砂金が取れることとともに、この場所が天平産金の最重要地であったことを物語っています。
別称は箟岳観音。
箟岳山の山頂にあり、奥州三十三観音の第九番札所に数えられている。
奈良時代の創建と伝えられ、当初霧岳山正福寺と称していたが、嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、無夷山箟峯寺と改称した。
奈良東大寺の大仏は聖武天皇の発願により、律令国家が膨大な国費をつぎ込んで完成した一大事業でした。
天平21年(749年)の早春、大仏本体の鋳造が秋には完了するメドがたったというのに、仏体を鍍金する金の量が決定的に不足していました。
しかしその2月、絶妙のタイミングで陸奥守百済王敬福が、小田郡で黄金を発見したことを報告したということが、『続日本記』に書かれています。
同年4月、天皇は東大寺に行幸して、黄金産金を大仏に報告しました。金は、国内にはないと思っていた。それなのに待望の金が陸奥国の小田郡に出た。
大伴家持は、「万葉集」に歌を遺しています。
天皇の
御代栄えむと東なる
陸奥山に金花咲く
天平の産金地の黄金山は箟岳山塊の全体を指すものと理解されます。
黄金山神社と天平の仏堂の存在は、神社下の黄金沢で今日なお砂金が取れることとともに、この場所が天平産金の最重要地であったことを物語っています。
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