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セザンヌはルノワールと親交があったが、60過ぎても自分の絵がよく売れるという経験はなかったのに対し、ルノワールは批判され、けなされ、しばしば罵られてはいたが晩年に至って遂に自分というものを世間に押し通すことができ、世界中の大美術館が彼に門戸を開いた。
ルノワールにとって絵画という芸術を助ける唯一の手段は、議論することでも団体を作ることでも褒賞を与えることでもなく、描くことだった。
金持ちの友人一家がヨーロッパ中から名医を厳選してくれたお蔭で一旦立てるようになったが、「これでは私の意志の力はみな取られてしまう。描くのと歩くのとどちらかを選ぶとなると、描く方が好きなんだ」と言って、以後は二度と立たなかった
この重大な決心をした後、ルノワールの生命はまるで最後の火花を散らしているように、ますます簡素になったパレットから、目も眩むような色彩や、大胆を極めたコントラストが溢れ出てきた。
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