2014年7月22日火曜日

1900年前後 1900年はパリ万博

1900年に行われたパリオリンピックの同じ年、4800万人を動員したパリ万博があって、夏目漱石もロンドン留学の途上立ち寄っている。

1867年のパリ万博では浮世絵が好評で、以降、パリの画壇に浮世絵が無視できないブームを巻き起こしたものの・・・

1900年のパリ万博では、雨あられと降り注ぐかのような日本以外の各国の絵画に対する金賞の数に対して、日本の「洋画界」は黒田精輝の銀賞が1つと酷評されてしまい寂しいものだった。
(日本画で1つの金賞はあった)

ペリーの黒船が浦賀に来たのが1853年、同じ年にオランダでゴッホが生まれている。
1884年に黒田清輝がフランスに着いて、法律を学ぶつもりが絵を学ぶことになって、ラファエル・コランに師事した。

1886年にはゴッホがフェルナン・コルモンの画塾に入った。
趣味で絵を描いていたゴーギャンが画業に専念するのは1883年。

黒田が帰国後、印象派の影響下で外光派として日本に洋画を広めている時には、
ゴッホは「絵画とは外界の模写ではなくて人間の内面性の表現だ」としていたし、
ゴーギャンは、「絵画とはひとつの抽象だ」と断じていた。

モーリス・ドニに至っては、「絵画とは馬とか裸婦とか目に見える外界を写し出すものではなく、ある一定の秩序でもって集められた色彩で覆われた平面のことだ」と唱えていた。

もう既に印象派どころかポスト印象派(後期印象派)を通り越して、次の時代に移行していた。

56年間浮かばれなかったセザンヌは1995年の個展から、評価が急上昇して、特に画家仲間から好評だった。

パリ万博で日本の絵画が日本画の金賞1つだったのもうなずけるような気がする。

 

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