2014年11月16日日曜日

北上川改修工事 川村重吉

川村重吉 かわむら-じゅうきち

1575年(天正3年)-1648年 江戸時代前期の武士,治水家。
陸奥(むつ)仙台藩士。はじめ毛利輝元に,のち伊達政宗につかえる。

元和9年(1623年)から4年をかけて北上川を改修し,東流していた本流を南下させて石巻湾にそそぐ工事を完成。北上川水運を発展させた。正保5年閏(うるう)1月27日死去。74歳。長門(ながと)(山口県)出身。通称は孫兵衛。


1623年(元和9年)~1626年(寛永3年)、迫川と江合川を北上川に合流させ、北上川本流を石巻湾に南下させる<新北上川>河川改修事業を成功させました。

この結果、三川が合流していた仙北平野の開発が進みました。
また仙台藩米のほか盛岡・八戸藩米の川下しが開始され、内陸水路が整備されて河口港石巻が成立しました。・・・ということは、
盛岡から石巻まで船で下れる。

川村孫兵衛重吉
 天正3年(1575)長州(山口県)長門国に生まれる。
 毛利家に仕え、二十代前半、伊達政宗の家臣となる。
 治山治水に優れた技術を発揮、正宗の命令で北上川改修工事の責任者となる。
 工事は元和2年(1616年)から寛永3年(1626年)に至り、工事費ねん出のため自ら借財、あるいは工事現場に泊り込むなど、筆舌に尽くせぬ労苦を重ねる。
この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後寒村に過ぎなかった石巻に一躍米の集散地となる。
 河口周辺には仙台、盛岡、一関、八戸各藩の米倉が立ち並び、江戸へ米を運ぶ千石船が往来繁栄を極めた。

 治水に伴って流域では三十三万石余の新田開発も行われ、地域の発展に計り知れない恩恵をもたらす。
 工事完成後は石巻に住み、慶安元年(1648年)、74歳で世を去る。
 

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