2014年9月30日火曜日

ゴッホの画題

ゴッホの手紙から、絵の描画傾向と言うか、何を描こうとしたのか?
何に関心を示したのか、彼の心をとらえてはなさなかったものは何なのか?

画家になる前は、お母さんが水彩画をやっていた影響で、子供の頃にはほかの人よりは多く、絵を描いていた。
おじさんとかが画商だったので、画商見習いとして数年間働いていたし、その為に売るための絵を多数、見ていた。

27歳で画家として立とうと決意したころは、農民や炭鉱夫、つまりミレーやジュール・ブルトンのような絵を描きたかった。
フランス・ハルスの「市民護衛団」とか、レンブラントの「ユダヤ人の花嫁」に魅了された。シャルダンにも熱中し、プッサンにも感心し、ドーミエも好きだった。
ハルスとかレンブラントの絵は、とんでもなく上手で(感動するか否かは別として)誰が見ても、上手さに驚かないことはないだろうとは思われるが。
ドラクロワにも関心を示し、モンティセリやゴーギャンの絵も好きだった。
(ゴーギャンはあまり、ゴッホを認めていなかった。ゴーギャンの好きな巨匠をゴッホは嫌っていたし、ゴッホの好きな巨匠をゴーギャンは嫌っていた。)

面白いことに、印象派の絵には限定付きで感心していた。
人々は印象派のことを買い被っている、(自分が)初めて目にした印象派の絵にはがっかりさせられた。
汚く、描き方もデッサンもまずく、色は不愉快で価値がないというのだ。

しかしながら、スーラとかシニャックの点描派(新印象派)の影響はかなり受けている。

結局、後で「ポスト印象派」と言われる自分なりの表現を見出すのだが、生前、自分の絵は全く認められなかったものの、いつかは理解され、評価されることを知っていたようだ。

風景画も描いているが、シスレーのように風景画一本やりではなかった。
モネのように構造物や風景を描くよりは、1世紀のちの人にも生きていると見えるような人物画を描きたいなどと書いてもいる。
その割には、ゴーギャンが去った後の椅子や、うれしくてたまらない自分の部屋とか、骸骨とか靴とか、他の画家があまりテーマにしなかったようなものも描いている。

当時は徒歩で移動することがほとんどだったからかして、スペクタクルに美しいような景色やモデル料金の発生する美人とかは描いていない。ヌードもあまり描いていない。

ごくありふれた、なかなかテーマにし難いような、どこにでもあるようなものの中に(ゴッホ特有の?)美を見出し、根気強く丁寧に描いているような感じ。

 

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