2014年4月10日木曜日

何を描くか・どのように描くか(1)

子どもの頃に絵を描くのが好きで、義務教育の美術は同級生たちや先生にちやほやされ、気を良くして特に何も考えないで描いていたお調子者だから、はっきりとは断定できないが、褒められるから好きになりなんとなく描いていたというところではないのだろうか?良く分かりはしないし、とりたてて分かりたいとも思わない。


が、しかし、人生も押し迫ってきて、かなり理屈っぽくなってきた今となっては、何故描くのかまでは追い求めはしないものの、何を描くか、どのように描くかは始終頭から離れないというのが正直なところ。

そんなの気にしたこともないという人もいたし、とやかく議論することでもないので、自分だけのメモや(頭の中の)整理整頓という目論見で、先達の絵に対する姿勢を書き留めようと思いました。

最初は最近読んだ本の中にあった、
里見勝蔵さん(1895-1981)の言葉

里見勝蔵は佐伯祐三(1898-1928)をヴラマンクに紹介した人で、里見も佐伯もフォービズムに惹かれていた。

僕は山に上って偉大な展望に接しても、これを懐かしく思うことは出来ない。(従って描く気になれない?)僕は好きなものを描く。僕の知っているものを描く。だからこそ僕の思う心が(絵を)観る人の心に映ずるのではないか。僕は僕の好きな人を描く。モデルを描くのではない。・・・・・

ヴラマンクは徹底して、(わざと?)絵を独学して、伝統的な描き方を否定した(無視した?)人ですから、フォーブの考え方です。

佐伯祐三に、「こんなアカデミックな絵じゃだめだ」といって、佐伯の方向に影響を与えたヴラマンク、その影響を受けた里見さんは、自由気ままな人生を送った人と考えられている様子。

 

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