2014年8月7日木曜日

絵画は抽象

ゴーギャンと、セザンヌと、ゴッホと、ベルナール

年齢の順から言うと、セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホ・ベルナール

様々な本を読んでみると・・・・・

ゴーギャンははっきり「絵画は抽象だ」と言った。
そして、セザンヌの絵を好きで持ち歩いていた。
ゴッホの絵については、「安くすれば売れる」と言っていた。それに、「私は単純で素朴な絵を描きたい」と。

セザンヌは、絵画を自然の写実的な描写から独立したものだということを確立したいという気持ちが強かった。晩年は「抽象」という概念を持ち出している。
有名な「塗り残し」は、未完成なのではなく、キャンバスの地肌をわざと残すことで、これは絵なんだ、無理に色で埋めても良くならないと思えば、そのまま残すというような制作態度だったようだ。写真のように現実を正確に写し出したものだとは見られたくなかったようだ。
色の置き方も長方形や正方形の形に同じ方向に筆を運び小さい長方形や正方形の形を並べたような描き方をしたりした。
ゴッホには「君はきちがいみたいな絵の描き方をするね」とか言って、評価はしていなかった。ゴーギャンについてもあまり買っていなかったようだ。

ゴッホは、写真のような描き方をする連中と言って、超写実的な絵を描く画家達を嫌っていた。ゴーギャンを尊敬していて、ゴーギャンを天才だと言ったりしていた。
セザンヌについては、認めてはいたが、あまり関心は示していなかった様子。

ベルナールは3人全部と付き合っている。
ゴーギャンとは、同じ地で、共に制作した。クロワソニスムでは先導したのはベルナールだったが、年長のゴーギャンに主導権を握られてしまった。
セザンヌとも交友があり、尊敬しセザンヌ的な描き方をしたときもある。
ゴッホの死後、ゴッホの絵の展示会を企画したりして、ゴーギャンに嫌味を言われ、仲たがいしている。
ゴッホとは最期まで仲が良かったが、手紙のやり取りこそすれ、共に制作活動をしたりはしなかった。
トゥールーズ=ロートレックとも友だちで、肖像画を描いてもらったりしていた。結局、4人(以上)の著名な画家達と親しくしたが、本人の絵で評判になったのはさほど多くはない。

ゴッホははっきり抽象という意識はしなかったが、鏡に映るようなもののような絵の描き方をする必要はないというか、そういうのを良しとは思っていなかった。

結局、写実的な「印象派」を経験している彼らが、4人とも揃いも揃って、多かれ少なかれ、「絵画は写実とは違う、抽象的なものだ」という意識が強かったことは確かな様子。

セザンヌの絵は分かりにくいとか、ピカソの絵は分からないとかいう人もけっこう多いらしいのは、写真の発達で、ゴーギャン・ゴッホ・ベルナールを含めた彼らが絵画に写真で出来ない何かを求めた描き方を模索したせいもあるのではないだろうか。

 

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