2014年1月4日土曜日

様々な絵画 さながら「さまざまな音楽」のよう。

☆カンディンスキーはミュンター(ドイツの女性)に教えたとき、「芸術」と「描画技術」は違うと教えた。

☆ドガはほとんど人物画しか描かなかった、しかも有名人ではなく生活臭の濃い街の人を描いた。動的な姿を捉えることに関心が強く、当時台頭してきた写真術を絵画に生かす(写真を見て絵を描く)事を隠さなかった。

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☆トゥールーズ=ロートレックは、絵の中で風景は人物像の脇役でしかなく、風景画というものに全く関心を示さなかった。好んでムーランルージュの踊り子や売春宿で身を売る女性の中に入り込んで、彼女たちの絵を描いた。

☆ヴラマンクは、アカデミックな絵を嫌い、既存の絵画論を信じず、ほとんど独学で絵を学び、描き始めたが、次第にアカデミックな描画に傾いていった。

☆エミール・ベルナールはゴーギャンやセザンヌと親しくなったり喧嘩したりしながら、総合芸術を主唱出来たのに、年齢が若かったせいか、主導権を奪われる形となって、自分の形式を固めることが出来なかった。

☆ターナーは風景画でも「光」の織りなす様々な色合いの変化を好んで描くようになった。

☆フェルメールは遠近表現の正確さや陰影を表現することに関心が強く、カメラ・オブスキュラ(印画紙のないカメラみたいなもの)を使用していたふしがある。

☆カラヴァッジオは対象を下描きなしに絵具で直接書き込み、デッサン=彩色という描き方だった。

☆ゴーギャンは印象派の画家たちとも交流が深かったが、表現方法をすんなり受け入れることはなかった。

☆ゴッホは浮世絵の平坦な色使いや輪郭線のある影のない描き方、大胆な構図などに大いに興味を持ちながらも独自の描画方法を確立した。

☆ミレーは、「いつも女の裸ばっかり描いていて、それしか能のないやつさ」という評を聞いて、それ以後裸体画は一切描かなくなった。

☆写真を用いて対象を写真の様にリアルに描く「スーパーリアリズム」という作風もある。投影機やエアブラシなども用いる。写真を用いているということを隠しはしない。

☆世紀の贋作師と言われたメーヘレンはピカソを絶賛する人物の前で即興で「ピカソ風の絵」を描いたところ、相手がその絵を売って欲しいと言ったが「たとえ贋作を描くとしても劣った奴の贋作は描かない」と言って絵を破り捨てたという。彼はキュビズムなどの現代芸術を軽蔑し、古典派の具象画こそ芸術であるとの持論だった。

☆アングルは、フランス政府に「写真を禁止せよ」と要求している。ところが自分は写真を使って有名な絵を描いている。

☆フェントンとル・グレイは師匠が写真の発明で「絵画は死んだ」というので、画家から写真家に転向して名を残している。

 

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