2014年1月8日水曜日

セザンヌ

セザンヌの絵が評価されだしたのは55歳ぐらいからです。
彼が40代の頃、幼いころからの親友が、彼をモデルにして失敗した画家として小説に書いたりして、絶交しましたが、そのうち印象派の巨匠たちが賞賛するようになりました。
だいたい晩年の12年ほど前までは彼の絵はさほど評価されていませんでした。

ゴッホの絵のキャリアは、有名画廊に勤めていた時期を除けば、描画に費やしたのはほぼ10年ほどです。
認められだしたのは、亡くなる1年ほど前からでした。
弟が画廊に勤めていたのに、個人的には(兄の絵を)認めるものの兄・ゴッホの絵が売れる絵、売りやすい絵だと思えるようにはいたっていませんでした。
しかし、晩年の1年くらいにオーリエという新進気鋭の美術評論家は賞賛していて、ゴッホはそれを知っていました。
そのことに対するお礼の手紙でゴッホは、「私の絵より素晴らしい絵がありますので、どうぞご覧になってください。」と、他の画家の絵を紹介しています。

ゴーギャンも貧困にあえいで、50代で亡くなるまで、あまり絵は認められておらず、特に画家仲間の評判は芳しくありませんでした。セザンヌも酷評していました。ただ、オーリエはゴッホの絵と同様、賞賛していました。

セザンヌは、喧嘩別れしたりした画家仲間のベルナールに当てた手紙などから、ゴッホやゴーギャンを評価していないことが伺えます。
ポスト印象派の巨匠3人(セザンヌ・ゴッホ・ゴーギャン)がそれぞれに、別の道に進みつつ、影響を与えたり受けたりはしていたようです。

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