グレゴリオ暦684年11月29日
白鳳地震(はくほうじしん)は白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。
745年 グレゴリオ暦6月5日
天平地震(てんぴょうじしん)は、奈良時代に美濃国を中心として発生したと推定される地震。
1891年濃尾地震に匹敵する。
864年(貞観6年5月)富士山噴火
869年(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M 8.3〜8.6(Mw >8.7)、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人
887年
(8月2日)(仁和3年7月6日) 越後西部を震源、M 6.5。津波による溺死者は1000人にのぼったとされる(『日本三代実録』)。
887年、8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8〜8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある。
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海・東南海地震) - M 8〜8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害。
1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。
1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日) 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) - M 7.1、建長寺などで火災発生、死者2万3,000人あまり、余震多発。
1498年
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海・東南海地震) - M 8.2〜8.4、死者3万〜4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ連動型地震説、東海はるか沖地震説、又は房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
1611年
1662年
1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M 6 3/4前後、死者1,400〜1,500人。
1703年
1707年
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M 6.9(Mt 8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M 7.0〜7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M 6.9或いはM 7 1/4±1/4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M 7.4〜8.0(Mt 8.5)、死者約12,000人。最大遡上高85m(日本記録『大波之時各村之形行書』)。安房まで津波の到達と記録あり。
1792年
1828年12月18日(文政11年11月12日) 三条地震(越後三条地震) - M 6.9、死者1,681人。
5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震(弘化大地震) - M 7.4。山崩れにより犀川の河道閉塞と閉塞部の決壊により洪水、死者約1万〜1万3,000人。
1854年
11月11日(安政2年10月2日) 安政江戸地震(安政の大地震) - M 7.0〜7.1、死者4,700〜1万1,000人。
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M 8.0、死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
白鳳地震(はくほうじしん)は白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。
745年 グレゴリオ暦6月5日
天平地震(てんぴょうじしん)は、奈良時代に美濃国を中心として発生したと推定される地震。
1891年濃尾地震に匹敵する。
864年(貞観6年5月)富士山噴火
869年(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M 8.3〜8.6(Mw >8.7)、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人
887年
(8月2日)(仁和3年7月6日) 越後西部を震源、M 6.5。津波による溺死者は1000人にのぼったとされる(『日本三代実録』)。
887年、8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8〜8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある。
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海・東南海地震) - M 8〜8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害。
1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。
1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日) 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) - M 7.1、建長寺などで火災発生、死者2万3,000人あまり、余震多発。
1498年
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海・東南海地震) - M 8.2〜8.4、死者3万〜4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
- 9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
- 9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府・万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
- 9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M 7 1/2±1/4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。
1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ連動型地震説、東海はるか沖地震説、又は房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
1611年
- 9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。
- 12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1(Mw >8.5)。十勝・根室沖のM 9クラスとする説がある。一方、東北地方太平洋側[注 11]で繰り返し発生していると推定されるM 9クラスの地震の候補ともされる[31][注 12][54]。伊達領で大津波による死者約2,000〜5,000人。
1662年
- 6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震(寛文地震)(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震) - M 7 1/4〜7.6、死者数千人。京都の大仏殿小破。小浜で城の櫓・多門・石垣・蔵の破壊。
1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M 6 3/4前後、死者1,400〜1,500人。
1703年
- 12月31日(元禄16年11月23日) 元禄地震(元禄関東地震) - M 8.1〜8.2(Mw 8.1〜8.4)、関東南部に津波。死者6,700人、潰家、流家約28000軒(『楽只堂年録』)(死者20万人とも『鸚鵡籠中記』)。
1707年
- 10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフの連動型地震) - M 8.4〜8.6(Mw 8.7[67]〜9.3[68][69])、死者4,900〜2万人以上、倒潰・流出家屋6万〜8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、東海道宿場町・伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐などで大きな被害(『楽只堂年録』)。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M 6.9(Mt 8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M 7.0〜7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M 6.9或いはM 7 1/4±1/4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M 7.4〜8.0(Mt 8.5)、死者約12,000人。最大遡上高85m(日本記録『大波之時各村之形行書』)。安房まで津波の到達と記録あり。
1792年
1828年12月18日(文政11年11月12日) 三条地震(越後三条地震) - M 6.9、死者1,681人。
5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震(弘化大地震) - M 7.4。山崩れにより犀川の河道閉塞と閉塞部の決壊により洪水、死者約1万〜1万3,000人。
1854年
- 7月9日(嘉永7年6月15日) 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7 1/4±1/4、死者約1,800人。
- 12月23日(嘉永7年11月4日) 安政東海地震(東海・東南海地震) - M 8.4、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
- 12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震 - M 8.4、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
11月11日(安政2年10月2日) 安政江戸地震(安政の大地震) - M 7.0〜7.1、死者4,700〜1万1,000人。
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M 8.0、死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
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