2014年3月1日土曜日

昭和南海地震

昭和の南海地震[編集]

昭和南海地震の震度分布
ごく近い時期の発生であったものとしては、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分04秒、和歌山県潮岬南南西沖 78 km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分、深さ 24 km)を震源として発生したMj 8.0 (Mw 8.4[19])の昭和南海地震がある。この地震は1945年の終戦前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震三河地震東南海地震)の一つである。
1946年の昭和南海地震では、地震発生直後に津波が発生し、主に紀伊半島・四国・九州太平洋側などに襲来した。地震や津波被害が激しかった地域は、高知県中村市(現四万十市南部)、須崎市高知市のほか、和歌山県串本町海南市などであった。四万十市では、市街地の8割以上が地震動で生じた火災等により壊滅したほか、串本町や海南市は津波による壊滅的な被害を受けた。死者は、行方不明者を含めて1,443名(高知県679名、和歌山県269名、徳島県211名)、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸に及んだ。
なお、南海地震は過去1,000年余り過去の地震活動の記録が残されている世界的にも例をみない地震である。

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