2014年3月1日土曜日

明治三陸津波は震度が2~3だったのに長さは5分ほど続いた。 1896年

明治三陸地震は、震度が小さいにもかかわらず、巨大な津波が発生し、2万人を超す犠牲者が出た。これは、この地震が巨大な力(マグニチュード8.2- 8.5)を持ちながら、ゆっくりと動く地震であったためである[18]。最近の研究では、この時、北アメリカプレート太平洋プレートが幅50km、長さ210kmにわたって12- 13mずれ動いたことが分かってきた。太平洋プレートの境界面には柔らかい堆積物が大量に溜まっており、それが数分にわたってゆっくり動いたと推定される。その独特の動きが激しく揺れる地震波よりもはるかに大きなエネルギーを海水に与えたと考えられる。

1888年(明治21年)の磐梯山の噴火
1891年(明治24年)の濃尾地震

1896年 明治三陸津波

人的被害


 

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