2014年6月12日木曜日

アルルのゴッホの部屋を見ると

1888年頃と、今の時代の125年ほどの違いで、けっこうな違いが生活にはあった。

夜の電気は、天井からぶら下げていたアルコールランプだったろうし、
部屋の中には水道がない。
飲み水はポットに入れて運びいつでも喉が渇いたときに飲めるようにしていたのだろう。
洗濯機はないから、手での揉み洗いだったろうし、トイレは水洗だったかどうかは分からないが、便利な場所にはなかったろう。
ガスはなくて、個人で料理は出来なかったろう。
冷蔵庫なんてものはない。
新聞の宅配もなかったろうから、世間のニュースはなかなか知ることが出来なかったはず。
ラジオ・テレビ・電話(携帯とかiPhone以前に、固定電話もなかった)
郵便システムはあったので、弟テオやベルナールに手紙が書けた。
自転車やマイカーは持っていなかったというか、車は普及していなかったので画具を運ぶのは手だったろう。
コンビニがなかったのは確かだが、小売店はあったろうから、買い物は出来なかったわけではないだろうが。
大体、風呂に入るのも簡単ではなかったろうし、シャワーも気楽に使えなかったのではないだろうか。
汚れた場合、画具や衣類は洗うのも大変だったろう。
カメラは一般の人は持ってなかったろうから、ワンタッチで構図の研究とか出来たはずがない。
ベッドだけは現代並みだったろう。
歯磨きとか病気にかかった場合の簡単な薬とか、なかなか手に入らなかったのでは?
ちょっと通院して治してもらうとか、風邪などのとき軽度で済ませるというのも難儀したのでは。
電気カミソリはなかったろうから、髭とか、あと長髪のカットも床屋さんに行くのも大変だったろう。
本屋さんはあったろうから、しかし、現代のような気軽さはなかったろう。
図書館や美術館だって、田舎町にそんなにあるものではない。
大体、自家用車がないのだから、行動範囲はかなり限られていたはず。
衣類を引っ越しの都度、運ぶのは大変だったろうし、描いた絵が大量に貯まった場合、持ち運びにはかなり苦労したろうというのは容易に想像できる。


 

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