2014年6月24日火曜日

ゴーガンの自画像の模写

ゴーガンはベルナールと一緒になったりして、日本の浮世絵の影響などを受けた、絵画の新しい構成を提唱したりしました。元々ベルナールが主導したものの、20歳ぐらい年上のゴーガンが指導的役割をしたものと世間は見なしました。

ゴッホが亡くなった後、ベルナールがゴッホ展を開くときに、ゴッホが一般(大衆)に気違いだと思われると、われわれの絵もそうだ(気違いの絵)と思われるので、やめた方がいいような嫌味のこもった手紙を書いたために、2人の仲は壊れてしまいました。

彼自身の絵画も生前はあまり認められず、パリの画壇に対する恨み辛みなどを抱えたまま自身もゴッホのように無念の気持ちのまま没してしまいました。

亡くなってからの絵の評価はゴッホと同様、徐々に大きくなりました。
ゴーガンもゴッホもアカデミックな絵や印象主義の絵と違う絵を模索していました。

 

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